躍 進 期 に お も う

                                                                          1967年度卒業 工・通信  佐 藤  一

       
    昨年11月に行われた「75周年記念式典」(2号館)とホームカミングデー(体育館),「祝賀会」(校友会館)に出席しましたので,ご報告させていただこうと思い,
   会長・副会長のご理解をいただきました。
   数年前(私が
OB会の事務局長の頃)に「そろそろ75周年の準備をする頃」など数人の知人や後輩から聞いたものでした。その言葉を聞いたとき,正直「70周年
   ではなく,
75周年?」 と感じたのは私だけだったでしょうか?そこで,知人・後輩に会うたびに伺いましたが,納得のいく答えがなかったように思います。
   また,自分の経験からも70周年,80周年,90周年と10年刻みの式典の経験からの発想でした。
   しかし,このスパンだと担当事務局は1年以上前から準備をしなければなりませし,終わってからの整理も含めると結構大変です。

  一昨年9月頃,75周年記念式典と祝賀会の案内が届きました。その案内を見ながら,ふと!「私がこのような場に出られるのはこれが最後かもしれない?自分が
  元気なうちにできるだけ参加しよう」と思いました。


写真1    111日 : 75周年記念式典,
    11月3日 :  建学祭。
    11
4日 : 75周年祝賀会
  が予定されていました。

  記念式典はリニューアルされた2号館(プライベート席は1,868席)を会場に実
  施され,後ろに立っておられる方も多く満員状態。私にとって
2号館はどこをと
  っても懐かしく,思い出深い場所ですので「感無量」でした。
  建学75周年の記念事業として,私たちにとって懐かしい湘南キャンパスにある
  
2号館の大ホールが改修されました。2号館と言えば「現代文明論」。東海大学
  は創立当時から文理融合を提唱していました。その実践の場としての教室でも
  ありました。改修後は
3,500席から
1,868席と約半分になりましたがプライベート
  席はゆったりと座ることができ,
格納テーブルもついています。
  写真
1(右上)からもゆったり感は感じられると思います。また,75周年を記念
  してそのプライベート席はドナー募集していて写真
2(右写真中央下)のような
  プレートが座席の背もたれの部分に取り付けられるようです。

写真2  これら一連の行事で「75」の謎が解けました。それは「学園マスタープラン」にも明記されています。
  つまり194212月の学園創立から2041年までの100年を「25年を1期」として4期に分け次のようにしています。
     第1四半世紀(1942年~1966年)・・・ 創設・再建期
     2四半世紀(1967年~1991年)・・・ 拡充期
     第3四半世紀(1992年~2016年)・・・ 展開期
     第4四半世紀(2017年~2041年)・・・ 躍進期
  私の卒業は1967年ですから拡充期に入った段階で卒業しました。皆さんの入学・卒業はどの時期だったでしょうか?
  自分なりの四半世紀を考えてみるのもいいですね。
  自分の年齢から考えても次回はありえませんので,今回決心したことは本当によかったと改めて思っています。
  ここで上記四半世紀を少し詳しく見ると・・・

 
(1)  1四半世紀(1942年~1966年) ・・・  創設・再建期
椅子の背にあるプレート
 1942.12  学園創立 
 1943. 4  航空科学専門学校開校 (清水市三保) 
 1946. 5  東海大学認可 (旧制大学令) (理工学部,経文学部,予科:静岡県設置) 
 1950. 4  新制大学として開学 (工学部,文学部設置) 
 1955. 1  東海大学工学部を東京都渋谷区富ヶ谷に移転 (1958年4月 文学部移転) 
 1958.12  超短波(FM)放送実験局 「JS2AO」 放送開始 
 1960. 5  超短波放送実用化試験局 「FM東海/FM・JS2H」放送開始 (現エフエム東京) 
 1963. 4  東海大学湘南校舎を神奈川県平塚市に開設 

    上記の他に私の思い出は  (順不同)
1.  東海大学丸二世がマグロの生態をビデオで初めて撮影に成功。
2.  ドイツから人体模型が到着。(清水の人体博物館 -20001030日閉館-で展示されていました)
   当時,清水には海洋水族館,人体博物館,魚体博物館を作るという壮大な計画がありました。
3. 2号館に大学では初の1inch VTR (松下)を導入。
4. 3号館スタジオでたて型1inch VTRSONY)を導入。
   この時,タイマー録画のテストをしていた広報学科が「ベトナム海兵大隊戦記第1部」(モノクロ:50分,牛山純一)を録画。
   この作品は第2部以降は放送中止となった作品。残虐とされたシーンが欠落した「総集編」が1971年にでました。
   牛山純一はテレビドキュメンタリーの開拓者としても知られています。
   この作品は昭和42年から45年頃の入学生は記憶にあるかと思います。

 (2)  第2四半世紀(1967年~1991年) ・・・  拡充期

1970. 9 東海大学ヨーロッパ学術センターをデンマーク・コペンハーゲンに開設 
1973. 4 九州東海大学(熊本校舎)を熊本県に開学,阿蘇郡に阿蘇校舎を開設 
1975. 2 東海大学医学部付属病院を神奈川県伊勢原市に開院 
1977.4 北海道東海大学(旭川校舎)を北海道に開学開学 
1986.11 学校法人 東海大学宇宙情報センターを熊本県に開設 
1991. 2 東海大学パシフィックセンターをアメリカ・ハワイに開設 

  上記の他に私の思い出は  (順不同)
  1. 沖縄海洋博覧会実施に伴い,株式会社東通(TBS)を佐藤が海洋学部に紹介。
    (この時のテーマは「海-その望ましい未来」でした。何度となく海洋学部の持つ船の見学をしたそうです)
  2. 1969年4月1日 東海大学校友会館開設  霞が関ビル33階 (2009年 35階 移転)
    (やがて,君たちが卒業して社会人となった時,いろいろな企業の方たちと商談などもあるでしょう。
    そんな時,企業の方たちを母校の校友会館に連れてきなさい。また,社会人となって学生時代の友人
    と会う時も気兼ねなく使ってもらえるように準備しました)とのお話が総長からあったのを覚えています。
  3. 沼津校舎の地鎮祭(都内の勤務先から沼津校舎に直行しました)(1973年) 

(3)  3四半世紀(1992年~2016年) ・・・  展開期

1993. 1 海洋調査研修船 「望星丸」 就航 
1996. 6 「望星丸」世界一周研修航海実施 (~10月)
2005. 4 東海大学を基幹大学として,九州東海大学,北海道東海大学の三大学による東海大学連合大学院を開設
2006. 4 東海大学チャレンジセンター,湘南キャンパスに開設 
2008. 4 東海大学,九州東海大学・北海道東海大学を統合 
2012. 4 清水キャンパスに幼稚園から大学院までの完全な一貫教育体制整う 

(4)  第4四半世紀(2017年~2041年) ・・・  躍進期

    現在実施に向けて既に検討している大型事業

   ・ 大学学部改組 (全キャンパス立地構造改革)
   ・ 一貫教育の到達度を踏まえた入試制度改革
   ・ 医学部・付属病院部門事業構造改革
   ・ 国際交流プラザ(学生寮)建設
   ・ 人事制度改革
   ・ 教職員研修制度改革
   ・ 給与制度改革
   ・ 経営情報システム一元化・統合データベース構築

 (上記,(1)(4)は学園マスタープラン P12,P13を参照・引用)
上記からもわかるように今は第4四半世紀の目標に向かって教職員・学生が日々努力していくことが課せられています。

  卒業して23年頃だったと思いますが,総長(松前重義先生)は次のように言われました(これは,私が直接伺ったわけではなく,話を聞いた方からの話を思い
  出したことをお伝えしています)。
  自分の元気なうちはできるだけ広く広げるつもりだが,自分が亡くなったら内部充実を図りなさい
  
  この言葉を聞いた時に,私は本当にそうしなければならないと心から思いました。
躍進期にいる教職員・学生は皆,難しい時代にいます。18歳人口の減少の中
  大学の生き残りは大きな問題でもあります。昨今,定員割れの多くなっている学部等を持つ大学では大きな危機感を抱いていると聞きます。
  そんな状況の中で躍進する東海大学は学部改組,医学部・病院部門の事業改革,国際交流等々非常に大きな難問を抱えています。しかし,松前精神の基で
  教職員・学生が一体となってその難関を克服してくれることを切に願っています。特に,国際交流はこれから非常に大きな問題で重要だと考えています。

  所で,111日の記念式典(2号館)は2,000名位の方々が参加されたようです。校友会は下手(しもて)側に陣取りました
  
中央には外国(ブルガリア,デンマーク,インドネシア共和国,ミクロネシア連邦,スリランカ民主社会主義共和国,アラブ首長国連邦,漢陽(ハイヤン)財団,
  モンクット王ラカバン工科大学,デンマーク国王望星国民高等学校,ロシア連邦極東連邦大学,モスクワ国立大学)からの出席者紹介,永年勤続(
30年,20年)の
  教職員紹介(代表は阿蘇校舎の荒木朋洋先生)等々で最後に吹奏楽の素晴らしい演奏で幕を閉じました。その後,
14号館でレセプションがありました。
  広い会場も行きかうのがやっとなくらい参加者で埋め尽くされた感がありました。同級生やクラブの先輩・後輩との再会はありませんでしたが,何人かの学生の父兄
  の方々とお話しする機会を得ました。
  皆さん,大変喜ばれていて釧路地区後援会の副会長は湘南のすべてが気に入った様子で感激し切りでした。


  私事になりますが,建学祭とホームカミングデーには何十年ぶりにWifeを連れて行き,1号館・2号館・14号館・松前記念館を訪れました。ホームカミングデーに
  行く途中,新築された
18号館にもよりました。
湘南校舎の建学祭でこんなにもゆっくり廻ったことは今までにありませんでした。
  また,記念館では
1時間以上もいました。(もっと早い時期に記念館を見ておけばよかったと反省しきりです・・・)

祝賀会
    114日には校友会館で祝賀会がありました。今度は誰かと会えるかと期待しながら出かけました。
  教職員の何人かと話したいこともあり,早めにつきました。その日の校友会館は朝から晩まですべて大学の貸し
  切りだったようです。
  会場は阿蘇,朝日,東海,三保,霞,相模の6室(立食で815名)の仕切りを取り除き,第2会場として望星
  
(立食で200)が準備されました。
  フロアーの方に伺うと祝賀会の出席者は総勢
1,000名の予定とか。従業員も全員出勤命令が出ているそうで,
  兎に角,圧巻でした。会場内も式が始まると何とも動きがとりにくく,大変な人でした。まさに超満員とはこのこと
  をいうのではないかと思いました。
  このような大規模な祝賀会は以後,経験することはないと思います。ここで,荻原健一さんにお目にかかりました
  (奥様も少しはお元気になられた様子でした)。あとは1日のレセプション同様に多くの父兄の方々とお話しでき
  ました。
祝賀会でも,北海道・静岡・栃木・愛知などからこられた方々と楽しいひと時を過ごしまし
た。

    2017年11月11日にBSジャパンで放送された「マゼランの遺伝子」もとてもいい番組でした。この番組から新
  しいことも学ぶことができました。この番組は皆さんに見せてあげたいと思っています。皆さんも機会があったら是非見てください。簡単なご報告と思いながら
  長文になってしまいましたこと,お許しください。
  最後にこのように盛大な素晴らしい式典,祝賀会を準備・計画いただいた,教職員の皆様に心から感謝したいと思います。また,これからの躍進を心から期待
  して,
終りたいと思います。

    「世界はQOLを求めている,東海大学は考える。」
     QOL (Quality of Life)
     時代のキーワードになっている。

     この「生活の質」という概念が,
     世界共通の価値観になろうとしている。
     世界標準をめざす東海大学にとって,
     QOLは取り組むべき新しいテーマだ。
     文系・理系の枠にとらわれない文理融合の教育,
     医工連携,新設される文化社会学部と健康学部で
     日本のQOL向上に貢献する。
     次の,世界標準へ。
     東海大学の新しい挑戦が始まっている                 (
大学のHPから「世界はQOLを求めている ~ 」をご覧ください。

     次の2041年には,今の方々がしっかりと見つめて,次の世代の方につないでください。
     なお,記述にあたっては東海大学学園史資料センターから,資料提供をいただきました。

     *写真は「アニバーサリー シートドナー 募集のご案内」のパンフレットから引用させていただきました。