Essay

  2号館 よもやま話 ~1~
                           1967年度卒業 工・通信  佐藤  一
はじめに
 OB会がスタートして早くも6回目の総会が昨年9月に終わり,改めて月日の経つ速さを感じています。
OB会のHPは放研のOBだけでなく,代々木校舎で勉強した諸先輩やいろいろな方面の方々からもアクセス
いただいているようです。
懐かしさ,想い出,先輩と連絡が取りたい等々。個人個人のお気持ちは多様のようです。
そんな方々のお話を聞きながら,私の時代の思い出を書いてみようと思いました。

湘南校舎の 1号館,2号館,3号館の位置関係は下の写真からもお分かりいただけると思います。
当然,皆さんもご存じのことです。写真では左から1・2・3号館となっています。
(3号館が竣工したのが1966(昭和41)年ですから写真はそのころのようです。)
昭和41年頃

1.2号館の完成
  着工:1963(昭和38)年8月28日
  竣工:1964(昭和39)年12月
2号館座席配置図
 私は湘南校舎の2期生です。湘南校舎は昭和38年から学生
が通学するようになりました。
当時は建物といえば1号館,食堂,実験棟,望星塾位だったで
しょうか?
食堂には当時,お昼になると外部からパン屋さんが大きなパン
の箱を持ち込んで販売してました。食堂のメニューもそんなに
多くはなく,ちょっと時間が過ぎると「売り切れ」になってしまい
ます。

 学校の周辺は2号館裏に当時としてはちょっと大きな喫茶店
が一軒。(放研は建学祭の折など,ここのお店で夜食の手配
など,無理をお願いして助けてもらいました。)
その他,校舎のまわりには2~3軒のお店しかありませんでし
た。(今とは全く比べものにはなりません)

 1年生の秋ごろだったでしょうか?富士見通りに面してオレン
ジ色の当時としては珍しい形(扇形)の屋根が見えるようになる
と学生の間では,「一体あれはなんだろう?」とささやかれるよ
うになり,最終的に大教室と小教室ということが分かったのは
年が明ける前のことだったと記憶しています。

当時,大学では講義形式の授業とゼミナール形式の授業についていろいろな角度から議論されていた時期
でもあり,大学では「多人数教育」と「少人数教育」が話題となっていました。
 「講義形式の授業」と「ゼミナール形式の授業」といった表現で比較したレポートなどもあったように記憶して
います。
壇上の教卓から見る  2号館の教室が完成して私が初めて教室に入ったのは翌年の「現代文明
論」だったと思います。教室に入ると室内の照明に加えて,各机に10Wの
小さな蛍光灯が座席分設置され,先生の声も教室内にあるスピーカー(集
中方式)と机に設置された小型スピーカー(分散方式)の両方から聞こえる
ようになっています。
小型スピーカーは全部で約600個設置されていたようです。小型の蛍光灯
は人数分用意されていましたので,約3,500個あったことになります。
しかし,あまりの大きさに入った感じは劇場といった方がいいように思いまし
た。
中央の壇の右手(舞台では上手といいます)に講師の演壇が置かれていて,
先生はそこに立ち,中央のスクリーンには先生の顔や書いた文字などが映し出されるようになっていて,教室
の中央の壇(舞台)は幅が22.2m,奥行き12.5m,高さ約12m あり,ちょっとした劇場の舞台のようです。

2.大ホールと小ホール

 2号館の大きな教室は大ホールと呼ばれていて収容人数は約3,500人,それと反対側の小さな教室は
小ホールと呼ばれ,約1,000人の学生が収容できる大きさで,大ホールの3階部分に調整室が設けられて
います。調整室にはさまざまな機器類が設置されていて,ほとんどの機器類は「Philips社」製で,必ず1~2
名の技術員が常駐して機器操作に当たっていました。
また,大ホールは上手と下手の広がり角度は約120°あり,当初はスクリーンを3張設置する計画もあった
ようです。しかしながら,技術者の努力により1張で解決することができました。その結果,スクリーン寸法は
たて幅4.81m,横幅6.41mになっています。
(詳細は「東海大学湘南校舎二号館扇形教室 スクリーンの解析」というレポートにまとめられています。)

 一方,小ホールは上手2階部分に調整室があり,映像はOHPで提示するため,最初にセットしておけば,
あとは無人で利用できるようになっていました。このOHPは資料面が380×380(mm)ある大型のもの
でした。当時,学校でこのような大型のOHPを使っていたのは東海大学だけではなかったかと思います。
後でわかったことは,同じタイプのOHP(光源はハロゲンランプに変わっていましたが・・・)は警視庁で指紋
の照合に使っていた時期もあったように聞いています。

大ホールの壇上には劇場でいうボーダーライトが3列に設置されていて,一番奥のライトはローホリゾント用
として使用していました。
丁度,第1ボーダーライトの上手側一部は先生の手元や書いた文字(板書と同じ効果を狙っていた)を提示
するためにTVカメラが吊り下げられて,調整室からリモコンでズームや上下左右(パン・チル)に振ることが
できるようになっていました。また,先生の顔はTVカメラで捉えてスクリーンに提示するようになっていました
ので,この切り替えは調整室にいる技術員が行っていました。
 先生の顔を撮影するTVカメラの撮像管は最初ビジコンが使われていましたが,教室内が暗くて先生の顔が
よく見えないなどの指摘から,プランビコンの撮像管に変更しましたが,プランビコンを使ったTVカメラは大変
高価なものだったように記憶しています。

3.設置機器

  大ホールの調整室には次のような機器が設置されていました。大ホールの最大の目玉は何と言っても
アイドホールといえます。(アイドホールの詳細はEssay「アイドホールって何?」をご覧ください)
当時,アイドホールは放送局が使っている位で,民間では東海大学が始めてでしたから,アイドホール=東海
大学という認識が広がったのも当然といえば当然といえるのですが,大学の技術者の運営・保守管理が万全
で,他から見ても運営の素晴らしかった点が評価され,そういわれる原因になっていると考えています。
また,当時アイドホールのメンテナンスは日本ビクターが専門に行っていましたが,東海大学の一部の技術者
もメンテナンスを実施できる方がいて,そのことも大きな原因となっていました。
映像スイッチャー(調整室内)【映像系】
 ・アイドホール(Phlips)・・・(電源装置220V)(光源:クセノンランプ 1kw)
 ・スクリーン(4.81m×6.41m)・・・特注
 ・文献複写(Phlips)・・・今でいう教材提示装置(当時はこう呼んでいた)
 ・TVカメラ (プランビコン,ビジコン)・・・各1台
 ・カメラスイッチャー
 ・16mmフィルムプロジェクター(RCA製)・・・光源:アーク灯(下写真参照)
  (当時としては45mもある投射距離に対応できる映写ランプが無かった
   結果と思います。)

 (写真は映像スイッチャー,
         右端が文献複写)
2号館の16mmで使われたアーク棒
【音声系】
 ・音声調整卓
 ・エレベーターマイク (舞台中央)
 ・有線マイク(4本)
 ・ワイヤレスマイク(2本)(途中で水晶制御方式に変更)
 
【照明系】
 ・スポットライト(1KW)
 ・シーリングライト(1KW)
 ・フットライト(4系統)
 ・ボーダーライト(第1,第2)
 ・サスペンションライト(第1,第2)
 ・アッパーホリゾント
 ・客席シーリングライト(9個)

4.周辺事情

 1965(昭和40)年,湘南校舎で初の卒業式が,翌年4月には初めての入学式が挙行されました。
また,この年に「総合グランド」が竣工されました。
私の卒業式も2号館で行われ,小ホールで卒業記念パーティーが開催され,学生時代最後になる総長のお話
を聞きながら,一抹の寂しさを感じたものでした。

 お気づきでしょうか?2号館が完成した翌年,富士見通りに御影石が敷き詰められました。
東京オリンピックを境にそれまで都民の足として親しまれた都電が廃止され,その軌道に使われていた石を
移設したものです。詳細は定かではありませんが,膨大な量の石の処分に困り,必要な人は取りに行けば無料
でもらえたのではなかったかと思います。(しかし,運搬にはかなりの費用がかかったのでは・・・?)
 当時,校舎建設の工事を担当いただいた会社と学校職員が協力して,取りに行ったように記憶しています。
この石のお陰で,赤土でぬかるんだ富士見通りは多少の凸凹があるものの大変歩きやすくなりました。
あれから約50年,この御影石も補修工事が施されたようです。
(何せ,当時は小田急線で長靴を履いている学生は東海大学の学生に間違いありませんでしたから・・・)

 道で思い出しましたが,大根(現東海大学前駅)から学校へ行くにはちょっとした山道を歩くように登って行き
ました。山道ですから雨が降るとぬかるみでよく滑るため,滑らないようにと長靴が欠かせなかったのですが,
現在はその道もすべて舗装されましたが,最後の階段(今のわれわれにとっては「心臓破りの階段」といっても
過言ではありません)部分は昔の山道の方がよかったように思います。
この階段の角度が急で,危ないですね。学生がよくけがをしないものだと感心しています。
(この階段も近いうちに改修計画があるように聞いています。)

次回は放送研究部と2号館の関係について思い出してみたいと思います。

ここで使用した図は東海大学教務部技術課発行の「東海大学湘南校舎二号館扇型教室 スクリーンの解析」
より使わせていただきました。また,写真は資料センター所有の写真の一部を使わせていただきました。
アーク棒は佐藤が撮影しました。