創 部

 昭和39年9月15日発行の「広播」(発行は放送研究部)の巻頭言で「少しずつ、しかし確実に」 未来の放研を築いて行こうではありませんか。と当時の委員長木村正義氏が投げかけた時から早くも42年が経過した。 その8年前には東海大学代々木校舎において、ある2人の人物の出会いがあった。その出会いを「広播」では次のように紹介している。……

   −−沖縄出身のブコツな男とインテリくさいメガネの男が代々木校舎のある
    教室
で,人生によくある偶然の機会に,二人はどちらからともなく話し
    かけた。

    「君そんなことしてるの」初対面にしては慣れすぎた言葉だった。

    「あゝ」たったそれだけの会話で二人の心はぴったりと結びついた。
    話しかけた
人,琉球気質のその人は宜寿字先輩。その相手の人は吉村先
    輩。一冊の本−アナ
ウンス読本−吉村先輩が手にしていた本である。
    一冊の本から新しい活動のきっ
かけが生まれた。放研が生まれた。何も
    揃っていない。じゃ作ろう。
素朴な,純心な学生だった。ひとつづつ何
    かが完成に近ずくにつれて,その人達
の心は作り上げる喜びで満ちた。
    (中略)その7年後には湘南支部が生まれた。−−

              (「広播」より昭和39915日発行)


 初期の頃の部則を入手しました。
「広播」に掲載されていたとのことです。木村会長よりお送りいただきました。
放送研究の組織が明確に記載されていました。
いつの間にかその組織図はなくなっています。もう一度,きちんと考え直す時期
のように思います。
                                  初期の部則を入手。